4−2(7) ローカル線(西日本)
1982年3月 山陰・四国乗りあるき その3(山陰・山陽のローカル線編)

  3月28日 晴のち曇
加悦鉄道編からつづく
若桜駅
駅舎
0:35福知山で、缶コーヒーを2本買って、1本はガムをくれたお姉さんにお返しであげた。1:55八鹿で、上りの山陰と交換した。4:30鳥取着、ホームでお姉さんにバイバイをした。鳥取5:35発の若桜線一往復を手始めに、因美線・姫新線・芸備線・三江線と乗りヘロヘロになって江津には21:10に着いた。昨夜の徹夜がたたって終日ボーっとしていた。朝昼メシはパン・夕メシは津山の駅弁だった。睡眠時間を稼ぐ為に急行さんべ5号をここで待たずに、大田市まで迎えに行って乗った。23:44大田市発、座席車だが速攻で熟睡した(車中泊2泊目)。
 
急行みまさか のサボ
 
津山の駅弁
備後西城
 

 

  3月29日 晴

小野田
小野田線カラーの105系
5:47下関着、良く眠れたので睡眠不足は解消できた。ホームの天そば250円で朝メシだ。6:10下関発、幡生で初めてEF30を見た。厚狭では、構内に20系の食堂車が大量に留置してあった。6:52小野田着、1番線へ行き小野田線の105系に乗る。小野田6:54発で小野田線・本山支線(こちら参照)と宇部線を巡る。9:32小郡着、もうSLやまぐち号の入換が始まっていた。C57-1の写真を撮る。10:00小郡発、この後の都合で山口でとんぼがえりして厚狭へ。

   
小郡
やまぐち号
 
山口線撮影記はこちら)
小野田
DD51-855
 
厚狭の駅弁700円
南大嶺
キハ23-1
大嶺駅
駅舎
駅弁700円を買って12:21厚狭発。おばさんがやってきて「相席いいですか?」と聞いたので「どうぞ」と答えた。それから話をした、今までの行程などをはなした。おばさんの旦那さんは医者をやっていると言っていた。俺が南大嶺で降りようとすると「駅弁でも買いなさい」と千円もくれた、ありがたく頂きお礼を言った。13:44南大嶺発(キハ23-1)、キハ23のトップナンバーだ。大嶺支線を一往復する。それから美祢線を北上し仙崎支線と乗り残した山口線を廻る。山陰本線の奈古は駅構内の桜が満開できれいだった。今夜も急行さんべ5号の座席車で寝る(車中泊3泊目)。
駅不明
夕メシの駅弁
駅不明
急行さんべ5号 20系

  3月30日 曇のち晴

下関
昨日撮り損ねたEF30
5:40起床、5:45下関着。新下関へ行き新幹線ひかり号に乗る。6:47新下関発、最新型の100系だった。食堂車で洋朝定食900円を食べた、美味い。広島到着近くまでねばった。8:06広島着、土産物屋をのぞいたら、B&Bのもみじ饅頭!とポスターが貼ってあった。それから広電で原爆ドームと広電の車庫へ行った。原爆ドームから乗った広電の車掌さんに車庫の行き方を聞いたら、広電本社前と教えてくれた。この車掌さんも鉄道ファンで、先日横浜へ行ったと話をした。広電本社の案内所で撮影許可をもらった、その際に職員さんが「ドイツからの車両は夏頃から稼働する」とか「元京都市電の1900形は京都の地名が愛称で付いている」等々説明してくれた。様々な路面電車を撮り、お礼を言って広電本社前発。
広島駅
583と654
広電本社前
車庫
可部
クハ79 (73撮影記はこちら)
11時前に広島駅着。風車という名のレストランでハンバーグ定食とチョコレートパフェ1500円食べた。12:04発の可部線で三段峡へ向かった。連日の車中泊の疲れからかほとんど寝ていた。三段峡で折り返し時間が50分あり、車掌さんが勧めたので三段峡へ行った。瀞峡に似ていた。広島への帰りの電車は小学生40人ほどの団体でうるさかった。途中の梅林駅は駅名と違い梅の木は見当たらなかった。17:30広島着、広島発の四国ワイド周遊券を買って呉線で尾道経由岡山へ。福山・倉敷に寄った、福山で買った駅弁1200円で夕メシ、22時前に岡山着。岡山22:39発で宇野へ、高松で夜行に乗るまでまだまだ今日は終らない(たぶんこのあと車中泊4泊目)。
四国のDF50編へつづく)
三段峡
C11 189
福山
福塩線カラーの105系
駅前に発電所があった
四国のDF50編へつづく